私が「好き」になっても迷惑だから
よく、ちょっと前に
暁さんに出会うよりずーっと前に私が口にしてた言葉だ。
私は「自分から恋をしたことがない」し「人に恋をしたことがない」女だった。
自分を好きになってくれるようなタイプの男に適宜自分を売り込み
その人の心を自分に向けていくタイプだった。
顔は10人並み
背は高い
でも甘やかすのは得意で
男の人の自尊心を満たすのも得意
そんな私は売り込めば売れる場所をきちんと見出してソコソコ不自由ない「独身生活」を謳歌して
その後「普通だったら私のような女に惚れない」男と友人を介して知り合い
偶々、好きになってくれたらしいので付き合い
「父親とは正反対」で「実家の両親仲がすこぶる良好」「思想宗教に固執変質がない」という
万が一私が結婚するならばという条件を満たした男と結婚した。
…そう。私は誰のことも恋してないのだ。
そりゃ相手のことは好きだったけど相手ほどの温度は持ったことがなかった。
恋の仕方を知らない
だから、恋をする事がわからなくて
そして私が私を嫌いだから
そんな女に好かれても迷惑だろうから
こういう私を好いてくれる人と一緒にいようと思ってた。
恋を知らない女を
暁さんは「恋する女の子」に文字通り変えた。
相手に好意を抱かないということは相手に期待をしないことだ。
暁さんは「期待をする」ことを私に教え
それを叶えていくことで私が「好きに」なる過程を許していった。
それを繰り返し繰り返し
根気強く1年半以上
日々、暁さんに私は恋している。
文字通り「初恋」なのだ。
最初は恋心にまごつくばかりだった私は
ここのところ素直に恋心を書き送れてる。
毎日の「だいすきです」も
たまに漏らす「寂しい」も
きちんと送れている。
成長、といえばこれが成長だと思う。
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