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呼び出し

◯日か◯日に休みが取れるかもしれん

そう、メッセージがとどくと自分の勤務表と照らし合わせる。
不意に休んでも人員充足がある日をもう事前にお伝えしているのだけど
念には念を入れて。

よし、休めるとわかると周りに頼んで休みをもぎ取る。
虚弱体質で良かったーとこんなときばかりは休みを優遇される身分になってて思ってしまう。
出勤日は馬車馬のように働くので許してほしい。

先に提示された日程までわずか3日
しかも今の勤務先は実は旅行会社が遠い。
毎回の新幹線代を削るために回数券を金券ショップで購入するか、旅行会社が企画している時間と便が指定される切符を買うか
どちらかの選択肢を取るのだけれど
日付が確定されてないのと直前なのもあり金券ショップを選択する。

頻回に会うわけではないけれど
塵も積もれば山となる、である。
こういう小さな節約は必須だ。

切符を買いましたよ、ナドナド報告する私は
やっと、やっと暁さんに会えるんだと
尻尾を振りちぎれんばかりに振るワンコになってるのだろう。
会える、会えるとメッセージもはしゃいだものに必然となる。

会いたい、から
会いに行くへと変化を遂げると
焦がれる恋しさすら楽しいのだ。

走れ新幹線
踊る心の私を乗せて


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お道具袋

日の目を久しく見てないお道具袋
コメントでも「使ってもらえるといいね」と言葉があったりするものだ。
私が以前教えてもらった中身は
縄と仮首輪と拘束具に電マ
ペラペラのオマケバラ鞭にアイマスク
それにボールギャグらしい
電マ以外は使われたことがある。

確かに使ってもらえたらな~と思う私がいない訳じゃないんだ。
不自由の甘美は私にとっては甘い蜜だ。
今の私は
自らの意思で暁さんの思うままでいる
のだけれど
拘束をされることで
暁さんの意思で暁さんの思うままでいる
になれるのは
本当に甘美で憧れもある。

でも、対私へのサービスでそれをされるのは嫌なんだ。
気が、向いたらがいい。
拘束された灯里で遊びたい
になったらそれこそ好きなだけ拘束してほしいけれど
灯里がやって欲しそうだからしてやる
は、いやだ。

これは本当にワガママなのだろうけど対私へのサービスを提供する暁さんを
想像しただけですーっと心の中で何か引いてしまうのだ。
もし、お道具袋が「私の望まない形」で出てくるくらいなら
もうそんなものは日の目を見なくてもいいのだ。
暁さんのsadismは私を打つ手から、抓る指から、踏みつける足から感じるから。
そして、行為を繰り広げる時の目からも狂気を感じるのだ。
そして、その熱を帯びた狂気を含む目線や行為を私は嬉々として受け取る。
道具に執着せずとも暁さんの行為を受け取り満足する私の二人でもう成立してるのだ。

出てくれば、嬉しいけど
程度のものに道具はなってしまったのだ。
だってもう、暁さんの「虜」の私は
暁さんさえ居てくれるだけで
勝手に身体が反応するようになったのだから。


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心の暴走

心が暴走して迷子になりかける。

恋、なのか
愛、なのか

自分の気持ちがわからなくなる

暁さんの「何」で居たいのかきちんとわかってるのだ。

恋人、は私が恋愛感情は持ってるけれど違うのだ。
隣で同じ目線では求めてない。

ペット扱いは嬉しいけれど
愛玩だけされたいわけでもない。

玩具扱いはそそられるものがあるけれど
代替え品があるものになりたくない

替えのない「私」のまま
暁さんに隷属したいのだ。

わかってるのに幼稚な感情に会えない期間が続くと振り回されて不本意ながら心が暴走してから回る。

心が暴走して「領分」を超えそうな私が怖いと告げると
会えてないからな
と告げられる。
そう、圧倒的な暁さん不足
抱きしめてくれる腕が恋しくて
恋しさのあまりに少し心の調子が狂っているようなのだ。

会えてないから仕方ないさと
過剰な甘えを出す私を笑って許容する。
ひとしきり心の「暴走の危機」を伝えてやっと冷静になって謝る私に
いいさと許しの言葉をくれる。

メッセージだけ、の日々が心の飢えを促進する。
早く会いたい
早く暁さんに会いたい
そう乞い願う私を笑って許す人にもう少し甘えながら待とうと思う。


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勝手なネガティヴ

ネガティ部という部があれば入会できるほど基本思考はネガティヴだ。

こんな人ばかりではないと思うけども基本思考が「自己否定型」なのだ。
明確に、必要だと言われないと存在価値を認められない。
これは私の「明るく幸せでしたとは言い難い子供の頃」に起因してしまうのだけど
「代用品」として愛されてたという「根底的な自己肯定感のなさ」はどうしても拭えない。

それを否定せずゆっくりと肯定寄りに進ませようと暁さんはしてくれてる。
「あったことは仕方ない」のだ
欲しかった愛情はもう得られない。
親から子への「無条件の愛情」はどこからひねり出そうがもう持ってるものしかないのだ。
それを欲しいともう足掻く気はない。
だけれども
今欲しい愛情は今なら得られるのだ。
暁さんから私への「庇護と許容を含む愛情」これは現在進行形で与えられてる。
そして溺れる程に与えられる愛情は心にできてしまった空白部に染み渡る程で
私は「居てもいい」んじゃないかなと少しづつ思えるようになった。

もう居場所がないと泣く子じゃない
「居場所を失うのは怖い」とは泣くけれどそれは居場所を得られてる人間の特権なのだ。

「居てもいいですか?」を何度でも何度でも肯定する人の側で
私の心はネガティヴなりに上向きに向け直されてる。


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咲く花に

年を越してから未だ一度しか会えてないと思ってしまう。

大切な人に出会えて繋がれてるのは奇跡だ。
私が一番好きで大切な人に「望む」形で飼われてる。
これを奇跡と呼ばずしてなんという?

でも、咲く花を見ると
ああ、暁さんのお誕生日は過ぎてしまったなとか
まだプレゼントもお渡しできてないとか
匂いも体温も足りないとか

そう、総じて「寂しい」という思いが募る。
会いたいようと嘆く私をなだめてくださる暁さんに甘え、何度も繰り言のように言ってしまう私は
できの悪い劣等生だとさらに心は萎びていく。

でも、会いたいと焦がれる人がいることは本当は幸せなことなのだ、と自分に言い聞かせている。



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choice

今、があるのは過去の選択の結果だ。

暁さんとこういう関係になって数回あっただけの頃、暁さんの昇進試験が決まった。
そのタイミングで私も少し体調がおかしくなり始めてて各病院の門を叩いていた。

けど、「離れない」と二人で決めた。

暁さんの昇進試験のタイミングで「会えなくなるかもしれない」とは伝えられていた。
思うままに会えない、それを提示された時に私はそれでもこの人がいいと思ったからお側を離れる選択をしなかった。
きっと、あの時「じゃあさようなら」と告げていれば私と暁さんの関係はなかった。

私の身体が儘ならなくなっているのも暁さんは承知してる。
婦人科系疾患だと思ったら別の病気だったというオチもすでに付いていて
病状は悪くないけれど予断をゆるさない。
些細なサインを見落として投薬や治療のタイミングが遅れたらきっと良くない状態にすぐ陥る。
それでも、暁さんの口から私と別れるという結論は出なかった。
悪化した検査結果を提示しても
「最高の結果じゃなくても最悪の結果じゃないからいい」
と落ち込む私を慰め
「こんな私じゃいらない子になってしまう」
と勝手に怯える私に
「俺が離れるなと言っているのに何を考える必要があるんだ?」
と宥めてくれた。

二人で選んだから
会えなくても
儘ならなくても
私たちは関係を紡ぐ

私は会えない主でも暁さんがいいと選び
暁さんは身体がもしかしたらハードプレイに耐えないかもしれなくても私を選んでくれた。
選びあった事実が何より大切な宝物だと思ってる。


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こんなにも

会えないのになんで暁さんがいいのだろう。

不倫相手なんか手軽に会えたほーがいいやんと某友人に言われる。
欲を解消しあうだけの関係ならば
肌を思った時に思うように合わせられる相手がいいじゃないかと。

でも、もう暁さんじゃなきゃ嫌だ。

跪くのも、嬲られるのも、暁さんがいい。
狂気に染まる視線が恋しい
悦を含んだ声が恋しい
愉しくなると嗤った時に私から見て右だけ少し高めに上がる口角が恋しい
突き放すように扱うのにきちんと迎え入れてくれる腕の中が恋しい
決して一人にしないと教えてくれた力強い抱擁が恋しい

もう理由なんてどうでもいいから
暁さんだけ欲しい。

そうなってしまったらもう他は代用にすらならないんだ。

桜が咲いてしまいました。
もうすぐ散ってしまいます。

でも、私は暁さんがいいから
恋しいけれど待ってます。

日差しが突き刺す季節の前に
どうかどうか会えますように。


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積み上げる日々

よく、会ってからすぐ完全服従を誓わせるようなことがある気がする。

でも、「完全服従」ってなあに?

私の小さな疑問

完全服従をさせたいなら
わざわざ「従え」と言わずとも「従わせてください」と言われるようになればいいのになと思う。

「相性」と「技量」と「相手に対して使う時間」
これを満たすことが第一条件なきがする。

相性、は嗜好的な意味でも思考的な意味でも重要だ。
盲信させて盲目にしたい人はそういう風になってくれる子じゃなきゃ無理で
考えた末にそこを明け渡す子がよければ盲信タイプは鬱陶しいだけだろう。
縄が好きな人に鞭が好きな人でも難しくなる
譲れる程度なのか嫌悪なのかもあるけどかけ離れてたら「こんなの違う」になるだけだ。

「技量」は本当にそのまんまだとおもう
初級者SとハイパーベテランMよりは
初級者Sなら多少の経験値がある程度のMの方が良いだろうし
ハイパーベテラン同士のがいろいろ深まるよね本当に。

そして、何より時間は大切なんだと思う。
時間を飼う相手に使えないならセックスフレンドで我慢なさい、と思う。
飼われてるからこそ思うけれどサディスト様のご命令やお仕置きは時折「必要悪」や「屁理屈」から生まれる
前回セーフだった事が今回はアウトなんてことは私は経験してないけど
えーーーー!って事は往々にしてあるようだ。
でも、その「えーーーー!」を納得させるのは誓約ではなく関係だけでしかない。
関係を深めるには時間をお互い使っていくしかない。

そして往々にしてマゾヒストは臆病だ。
私も、「私がこのようなことを伺うのは生意気ではないか?」とは暁さんに対して思う。
卑下、ではない。
恐れや畏怖にちかいかもしれない。
でも、私は問う。
問うことは「正解」だと一年と半分の時間で教えてもらっているからだ。
恐れながらご主人様にお伺い致します、な感覚だけど、聞く。
疑問、を放置すると
疑心、を生んで
さらにこれを放置すると
信じることができないから。

でも、これは「従っている」から問える疑問でもある。
「聞きなさい」という命令をきちんと時間をかけて私に認識させるように下してるから、なのだ。

完全服従をしてる奴隷さん、と某所で言われて
「きちんと主に従う良い奴隷さんですね」
という方々に私的三原則をぶつけると黙る。

完全服従を果たすには果たすだけの「時」を積み上げることから始めればいいと思う。
その「時」の積み重ねで「従って」いくものでしょう?と

現に私は一度暁さんに約束破りをしてる。
この記事で
記載している通り私は誓約をやり直してる。
信頼を深めた結果、心の傷の部分まで晒してごめんなさいが出来たのだ。
そうやって、明け渡すことができたら
上っ面をなぞるだけのものにならないと思う。

今これを書いているのは桜の咲き始めだ。
さてはてせめて菖蒲の頃までに会えるといいな



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生きる、執着

実は生に対する執着が薄い。

と、いうと大概の人に怒られるが積極的希死願望が強いわけじゃない。
これについては本当に落ち着いた。

でも、自分が死んで誰かが助かるとか
そういうことについては本気でサラッと死ねる気がする。

まあ、元々何度か死に掛けてて
その度に奇跡的になんとか生きてるので
「おまけの人生」感覚は拭えないのもあるのだ。

そんな私が多分今までで一番生きる事に執着してる。
私は「暁さんの」だから
勝手にさっさと死んではならない
と諭されているからだ。
呼吸をし、脈を刻むことを望まれてる以上、私は生きなければいけない。

主が「俺のもの」だと言うから生きている

は依存なのでしょうか


と、問う私に

依存とは違うかな
それは服従と言うか差し出してるわけであって依存じゃないかな


と、この状態を受け止めてくださってる。
暁さんのために私が「居る」という甘やかなファンタジーを
肯定してくれる。
暁さんの肯定があれば2人の中ではそれは「現実」で、「真実」だ。

だから薬や生活に多少制約はあっても私は「生きる」事を諦めないようにしようと、思う。
暁さんのそれが求めなら
それで暁さんの笑顔が見れるなら
そうしようと思う私に

もうもらってるぞ?(笑)
と、返してくださる。

そうですね、とっくに私は差し上げてましたね。
と、改めて伝えてくれた想いに温かさを覚えた。



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飼う

ご主人様から奴隷契約は破棄できるのに
奴隷が逃げるのは生意気だー
奴隷に逃げられたから卒業って表現
なんてところは多い気がする。

※勿論それが幸せ機能としてきちんと循環してるなら問題なし

でも、奴隷を飼うことを犬猫を飼うより軽く考えられてるのなら
そりゃぁ考えが甘いよ奴さんとなる。
犬猫は「衣食住」きちんと世話をしないとダメだけど
SM的関係の「奴隷」はその分の「心を養う」手間を掛けるのが大前提だと思うのですよ

マゾ性癖だけならともかく
マゾ性格まで持ち合わせていると
「日々を生きるだけでMP(メンタルポイント)が削られて居る」
それに「ご主人様」という拠り所を得たらそれはそれは依存するのだ
そういう「難儀な生き物」を飼った代償として「MP回復」を担うのは
飼い犬に餌をやるように必要な行為だとおもうのだ。
それを怠られてしまうと「主から不要とされてる奴隷」という恐怖に勝手に駆られる生き物がマゾ性格だったりするので
主の手の及ばない範囲でMPをさらに勝手に消費し
「ここでは死んでしまう!!!」となったM女は餌をくれる人を見つけに旅立ってしまうのだとおもう。

そして、飼い主の座にあぐらをかくだけの「責任感のない自称主」には
長くM女が残らない、ような気がする。

わたしの中でのNG行為は放置だ。
と、いっても部屋の片隅に拘束されてオモチャなどを仕掛けられて放って置かれる放置ではなく
無連絡、無反応、無対応
私の最大NGはこれだ。
モノ扱いは「所有されてる感」がして好きだし
ペット扱いは「飼われてる感」が好きだし
奴隷として扱われるのは私の中で当たり前の行為だから喜びというよりあり方だ。
でも、反応がない相手におとなしく従えるほど暇ではない。
時間も命も有限なのだ。

限りある生の中の限りある時間の中で
会いに行く時間を作ってるのだ
その限りある時間を大切にしてくれない相手は私を大切にしない相手だと見限るのは間違ってないと思うのですよ。

放置に耐えるのも「お仕えする事」かもしれないけど
耐える価値が有るのかは「仕える側」が決めてもいいと思うのだ。




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プロフィール

灯里

Author:灯里
M奴隷二年目
愛奴と呼んでいただけるようになった灯里と飼い主である暁さんとの関係
ここは灯里から暁さんへの報告書であり二人の間の色々を残す場所です。
やっと卵から孵ったくらいの私がどんな姿になるのか
暁さんの「願望」と私の「願い」が重なるときにどんな化学反応が起こるのか。
日々と逢瀬と想いを綴っていこうと思います。

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