実は生に対する執着が薄い。
と、いうと大概の人に怒られるが積極的希死願望が強いわけじゃない。
これについては本当に落ち着いた。
でも、自分が死んで誰かが助かるとか
そういうことについては本気でサラッと死ねる気がする。
まあ、元々何度か死に掛けてて
その度に奇跡的になんとか生きてるので
「おまけの人生」感覚は拭えないのもあるのだ。
そんな私が多分今までで一番生きる事に執着してる。
私は「暁さんの」だから
勝手にさっさと死んではならない
と諭されているからだ。
呼吸をし、脈を刻むことを望まれてる以上、私は生きなければいけない。
主が「俺のもの」だと言うから生きている
は依存なのでしょうかと、問う私に
依存とは違うかな
それは服従と言うか差し出してるわけであって依存じゃないかなと、この状態を受け止めてくださってる。
暁さんのために私が「居る」という甘やかなファンタジーを
肯定してくれる。
暁さんの肯定があれば2人の中ではそれは「現実」で、「真実」だ。
だから薬や生活に多少制約はあっても私は「生きる」事を諦めないようにしようと、思う。
暁さんのそれが求めなら
それで暁さんの笑顔が見れるなら
そうしようと思う私に
もうもらってるぞ?(笑)と、返してくださる。
そうですね、とっくに私は差し上げてましたね。
と、改めて伝えてくれた想いに温かさを覚えた。
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