ネガティ部という部があれば入会できるほど基本思考はネガティヴだ。
こんな人ばかりではないと思うけども基本思考が「自己否定型」なのだ。
明確に、必要だと言われないと存在価値を認められない。
これは私の「明るく幸せでしたとは言い難い子供の頃」に起因してしまうのだけど
「代用品」として愛されてたという「根底的な自己肯定感のなさ」はどうしても拭えない。
それを否定せずゆっくりと肯定寄りに進ませようと暁さんはしてくれてる。
「あったことは仕方ない」のだ
欲しかった愛情はもう得られない。
親から子への「無条件の愛情」はどこからひねり出そうがもう持ってるものしかないのだ。
それを欲しいともう足掻く気はない。
だけれども
今欲しい愛情は今なら得られるのだ。
暁さんから私への「庇護と許容を含む愛情」これは現在進行形で与えられてる。
そして溺れる程に与えられる愛情は心にできてしまった空白部に染み渡る程で
私は「居てもいい」んじゃないかなと少しづつ思えるようになった。
もう居場所がないと泣く子じゃない
「居場所を失うのは怖い」とは泣くけれどそれは居場所を得られてる人間の特権なのだ。
「居てもいいですか?」を何度でも何度でも肯定する人の側で
私の心はネガティヴなりに上向きに向け直されてる。
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