私は~で、あるべき。というものは大嫌いだ。
確かに物事に正しい在り方はあるだろうけど
正しい、だけで括れない現実がある。
フラリと巡回したブログのコメント欄で
「いや、それは○○じゃ無いよ××でしょ?」
と言うコメントがあった。
…や、そこのご主人と奴隷さんが○○って言ってるならそれでええやん。
それで別に貴方が困るでなしに。
と冷めた見方で見てしまう私がいる。
SとMだって立派な異常性癖だ。
異常性癖っていう同じ穴の狢なのだから細けぇこたぁぐちぐち言いなさんな!
となる。
Sadism & Masochism(サディズム & マゾヒズム)
これと
Domination & Submission(ドミネイション:支配 & サブミッション:服従)
を混同するなー!!!!!
と声高にする人もいる。
私達はDSよりのSMなのだろうという自覚はあるけど
全く混ざらない人も居れば
これがセットの人も居るのは今現状だと思う。
私は高校時代にはカメラ付き携帯とモバイルWebサービスと言うものが出始め
今や懐かしいス○ービーチやらのお世話にもなったことのある年代だ。
けど、雑誌には文通コーナがあって、今じゃ本当にあり得ないけど個人宅の住所が書いてあって
趣味の雑誌(私の場合は音楽誌でしたね流石にアダルト雑誌は買えなかった)の文通コーナで趣味の友達を見つけたりする
デジタルとアナログの変革期ど真ん中に居た年頃だ。
だから、アナログ時代にパートナーを得る苦労をしたことがある側の人の気持ちもわからなくも無いし
デジタル時代にソート機能で好みの性癖の相手を探すお手軽さもわかる。
風情は無いけど便利がある
便利の代わりに風情はなくなった
そして、便利が世間があまり日向に出したく無い性癖の坩堝をSMに押し付けた感はゼロじゃ無い。
アダルト動画を漁るサイトには
SMの中に
ウエットアンドメッシーも
異装も
人外も入ってて大笑いした。
でも、変態同士なんだから
「もーあんたも変態ね」
で、いいんじゃ無いの?
と某SNSの喧々諤々の論議をみて冷めた目になってしまう。
SMが崇高?
そう思うのは勝手だけどもどこまでも限りなく変態行為でしかない。
まず大元の「我輩は変態である」まで立ち返れば?なのだ。
変態、を全部SMに押し付けおって!と言う気持ちはわかるんだけど
もうここはみんなとりあえず変態なんだし同じ性癖というご飯は分けあえなくても
あー、お互いたいへんですね、くらいでいいじゃない?
なかなかドンピシャの「変態行為」をわけあえないんだしさ。
私は少し「生きにくい」性癖を抱えた愛すべき変態たちに
「否定だけでは誰にも肯定されないのにな」
と、心で思いながら今日も喧々諤々の掲示板を眺める。
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