拗れてるのは私だけじゃない、と気付いた私はもう一つの事に気づく。
やっと得られた場所なのは私だけじゃなかったのだ。
暁さんも、「やっと得た」安寧の時間なんだ。
平手を打って愛してる、とか
足を舐めさせて愛おしく思う、とか
踏みつけたくなるくらい可愛く思う、とか
恥ずかしくて涙する様が興奮する、とか
この思いのこもった行為を暴力や忌み嫌うべきもの、ではなく
愛情表現として受け止める相手がいる事は暁さんにも大切な事、なんだ。
私が居て、私がそれを愛情だと受け止める事、は暁さんへの肯定だったんだ。
それを私は初めて自覚した。
目から鱗、だった。
そうか
sadistもmasochistも
masterもslaveも
dominantもsubmissiveも
片方だけ、だと満たされないのだ。
私がいる事、は無駄じゃないのだ。
お側に侍る事、は暁さんの幸せに少しは役立つらしい。
良い、従者
良い、奴隷
良い、玩具
には遠いかもしれない。
でも、無駄ではないのだ。
会えるかもと示された日までは少し先。
まだまだ、私の中の私への嫌悪や憎悪は止まない。
でも、関係なく私が欲しいんだよと告げる優しい人を少しでも少しでも私は傷つけないようにしたい。
せめて、物理で私は私を傷つけないように
せめて、言葉で私は私を貶めないように
そうする事ですこしでも、暁さんを傷つけないように。
冬の冷たい風は心を刺すように吹く。
暖かな懐に怖いけど帰ろう。
こんな私を見せてしまうのが怖いけど帰ろう。
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