はぁ、とため息
半年はゆうに会えてないことにそろそろなろうとしている。
うん、あとひと月刻んでしまったらそうなるね。
そんな時間に私は寂しさをもちろん抱いている。
飼い主に会えない単純な寂しさ、はもちろんだ。
太陽に照らしてもらえない草花の様に萎れてしまいそうになる。
そして、実は何より寂しいなと感じることは…
電子の言の葉だけだと伝わりきらない想いがあることだ。
いくら、電子で文を交わしても
目の前にある体温と、わたしを包む熱い視線には何ものも敵わない。
わたしの心はどれだけ届いたろう
だいすき、の一言で愛おしく想う心は届くのだろうか。
不調を訴える日に送る「心配です」の文字は決して心配することを厭うのではなく、心から案じて快癒を願う気持ちなのが伝わるだろうか。
嬉しいの一言が送れることが、わたしにとってどれだけ喜びに繋がっているか感じてもらえるだろうか。
これをわかってもらえてるのか、きちんと齟齬なく届いているのか、それがわからず寂しい。
こうして綴ることはできても、瞬発的に送ることを要されるメッセージアプリケーションでのやりとりだと
うまく伝え切れる様な短い文章で
言葉を繰る事が出来なくて寂しい。
暁さんの腕に収められて、体温と呼吸を感じて、視線を交わす。
それだけで伝わるものがあるのに
無機質な文字だけのやり取りでは、言葉になっているのに心になっているかわからない。
こんなにお慕いしてるのに
わたしの心から送る言葉が、カラカラと空回っていく気がしてしまう。
文字の羅列の記号の想いより、生の反応に早く会いたい。
寂しい、の想いにはこんな焦燥感もはいっているのだ。
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