暁さんと出会って季節は三つ巡った。
季節を共に重ねることを許してもらって
まだ両手には満たない回数の逢瀬でも暁さんのことを感じさせてもらって。
それを積み重ねていく中で確信したことがある。
『従う事が必要だった』
ということだ。
自信がないのに自分で決めて自分で歩かなくてはならなかった私は寄りかかる場所をなくしていた。
パートナーも、家も、家族も、妹も
私が全部背負ってきた。
相談もせず独りで。
暁さんと出会って
おずおずと、ではあるが相談という手段を使うことをするようになった。
暁さんは決めて導くことはしなくても、私が迷子になると寄り添ってくれる。
尊敬をしていて、何をどうしても私が敵わないのが暁さんという人だ。
変な意地を張らず弱くてへこたれそうな私をだせる。
ショック療法的なのかもしれない。
でも、見栄や意地を張らずに飾ることをしない私を出すことができるのは、暁さんが上に居てくれるからだ。
立てるようになりますね、と言うと頑張ることは認めても焦るなと諌めてくれる。
頑張ることはいいことだけどそれをし過ぎて灯里が壊れたら無意味だと。
ブレーキを踏み忘れる私にブレーキがあることを教えてくれるのが暁さんだ。
カチコチに凝り固まった心を解し、甘え方を置いてきた私に子供をあやすように甘え方を教えてくれるのも暁さんだ。
人を好きになる方法をはるか彼方に起き忘れた私に、それをもう一度やり直しさせてくれるのも暁さんだ。
自分で選び、尊敬し、自ら跪き、自分の上に据えることをしないと私がこれをできない女だということは暁さんが一番よく知ってる。
そんな面倒くさい女を足元に置く暁さんは大変なのかな?と心配になりそれを聞くと、自信をもてと窘められる。
暁さんは暁さんの中で私を選んだ確固たる理由を持っているのだそうだ。
私が今迄で最高に居心地のいい場所と想う場所は暁さんの足元だ。
喜んで跪き足を舐める女でいられる場所。
これが、必要なんだ。
下に置かれる事が必要な女、そんな私を飼ってくれる暁さんが居る。
この幸せを噛み締めて生きよう。
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