ある日の夜。
何故か泣きじゃくり起きた私。
まだ寝てない…かな?と暁さんにメール。
暁さんのレスをもらうだけで安堵しゆっくりと横になれるから。
甘えてるな、と思うけど甘えることを許されて命じて貰ってるという事実がある。
ここで、セーブして踏みとどまり不眠になった方が叱られることを知っているから。
そして、ふと気付いた。
「あれ、私は私が思ってる以上にもしかしたら暁さんが大切に、されてる?」
そもそも、子供のように愚図る私の相手、なんて至極面倒なことだろう。
それを、受け入れ可愛がり
「俺の奴隷を俺が庇護するのは当たり前だ」
と申し訳なさを表す私に気にしないように告げる。
身体を壊せば心配される。
心が傷つくことがあれば癒える様にしてくれる。
これを[愛されていない]と、思える程私は鈍感ではない。
人から向けられる好意に鈍くて、人から向けられる悪意に敏感な私でも、だ。
暁さんから「悪意」や「軽んじる」事を感じたことはなかった。
「好意」「庇護欲」「独占欲」「支配欲」「破壊欲」は感じても。
もう、思い上がった気持ちかもしれないなんて封をしなくてもいいの?
私は暁さんに愛されてるのだと自信を持っていいの?
私が尊敬し慕い恋してる人に、愛されてると胸を張っていいの?
もう、私は私を許してもいいの?
醜いと、醜悪で美しさのかけらもないと自分を愛せない私でも
少し、自分を好きになっていいの?
暁さんを、愛していいの?
そう思う私を肯定してくれた。
「愛してるから無理をしても会いたい」
と、言葉にして。
そう伝えられた私は、自分を嫌う事を少しづつでも辞められるようになりたいと暁さんに告げた。
暁さんに愛されてることを拠り所にしてしまうだろうけど、暁さんが好きなものを好きになれるようになりたいと思ったのだ。
まだ、始めたばかりだけど。
私なんて、はもうやめられるようにしたい。
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