小さい時の記憶があまりない。
あまり楽しいことがなかったからかもしれない。
子供の頃のことで覚えてるのは
赤ん坊の妹と留守番をして泣き止まなくておやつに持ってたポッキーのチョコレートを舐めさせたこと
(母親曰くこれで子供を置いて留守番させてはならないことを学んだらしい。…プロトタイプだな私。)
あとは、祖父と一緒にいる時のことと
(彼は早くに亡くした妻に生き写しの私を溺愛していた)
図書室のこと。
あとは本当に切れ切れでお世辞にもあまり愉快だった覚えが雑感としてないため
無理やり思い出すつもりはない。
でも、【ない部分の記憶】が呼び起こす底の無い恐怖感が呼び起こす私の臆病さがあるのも事実だ。
暁さんはその部分が私の【不安定さ】の根底に流れてると思っているのだろうなと思う。
欠落部が生む私の【不安定さ】は確かに看過できないのかもしれないなと思う。
無い物にした方が安定するはず、と脳が判断して【忘れている】ことは私ほど多くなくても基本的に人間がやる自己防衛のプログラムに組み込まれているはずだ。
私は、暁さんに
「今が楽しいし、それで充分」
と、答えた。
過去の私は私の構成要素ではあるけど
今の私が今日を生きて明日につなげるために存在してるはずだから。
そう、心から思える場所を用意してそこに置いてくれたのは暁さんだ。
手負いの野良のようだった私を
従順な飼い犬にまで躾けてくれたのも
そうやって心を預けることの幸せを教えてくれたのもだ。
「そう思える場所をくださってありがとうございます。」
と心から思っているのだ。
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