痛いことは苦手だった。
過去形にすべきだろうなと思うので過去形。
苦手だったのだ。
M性癖に気づいた独り身の時に
自由気ままに、ちょっと変態そうな人と交わってみたりした時に
お尻に平手で強く打たれた時は全然嬉しくなかった。
むしろ痛いと文句を言う事もした。
でも、暁さんに始めて痛みをもらった時は
痛いけど文句を言う気は起きなかった。
むしろ痛みを与えるのが楽しいという顔をした暁さんをみて
「欲をぶつけてもらう」悦びを感じてた。
痛いのが嬉しいじゃなかったのはお話済みではあったけど
それを少しづつ、少しづつ、痛いのが嬉しいになる様にステップアップさせたのは暁さんだった。
まったく見込みがなかったらそこは育てなかったろうと思う。
でも、多分始めて痛みを与えた時の反応から暁さんなりに痛みに対する伸び代を感じたのだろうなと思う。
今は痛いのが嬉しくなってる。
ギリギリと抓りながら潰される乳首への痛みも
平手で打たれるお尻の痛みも
快感への経路が出来てきてる。
何よりそれをしてる暁さんの様子や息遣いが感じられるとさらに悦ぶ。
そして痛みに漂って安心する。
こうして虐げることが可愛がる手段であることをわかってるし
この手段で可愛がる相手が私だけという独占欲を満たせるから。
好き、だから暁さんの好きの形を知りたかった。
やっと、そこに近づけた気がする。
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