私は、あまり褒められたことをしているわけではないことを常に自覚してる。
罪悪感、とはちょっと違うかもしれない。
家人に、暁さんの「家庭」に
毎日申し訳ないな、というのは無いわけじゃないけど
それに苛まれてる訳ではない。
行いに対するリスクもわかっている。
どちらも生活の基盤は失うだろうし恨まれもするし憎まれもするだろう。
後ろからナイフで1刺しされるくらいはあっても仕方の無いようなことはしているのだ。
日向にいられる関係ではないのをわかってて、なぜ?
そう問われたことがあった。
「私の中の穴を愛してくれる人に会ったから。」
そうとしか答えられない。
後ろ指を差される性癖を埋めることを捨てたつもりでも捨てられなかったわたしは暁さんの「優しさ」に縋ってるんだ
卑怯で、不道徳な行為だ。
そこに安らぎと快感を得たら離れられなくなった。
わたしがこの関係の「負」の部分に持っている感情は責任感だ。
明るみに出たら、全てが壊れる
わからないようにする努力を
傷つけないようにする行動を
全力で行う。
明るみに出て全てを壊してしまったら
誹りも罵りも全て受けよう
怨みも怒りもだ。
裏、を満たしたいなら
裏、のために表へ対する覚悟をすること。
忘れないでいないといけない。
だから私は表の世界で今日も笑う。
何にもない顔で。
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