逢瀬時に暁さんが私の胸に寄りかかって顔マッサージという
図らずとも乳枕状態という事態に陥った時…
実はこの体勢男の人を甘やかすのにもってこいで尚且つそれが比較的ご好評いただけるサイズなのもありまして
家人には常々おねだりされる姿勢だったりする。
これって相手を見下ろせる姿勢なのもあって相手をバカにできてしまう、という姿勢でもある。
でも、暁さんには愛おしさは湧いても蔑みやして上げてる感は湧かなかった。
むしろ胸元でふぅ、と一息ついてらっしゃる姿は
日々のお仕事でのお疲れのたまる痛々しさとその状態でも会うことを選んでくれたことへの感謝だった。
そして「気負い」がなくなったのかな、とも思った。
ご主人様らしく、しなきゃダメという気負いは暁さんにはあったと思う。
以前、暁さんに
主が好きだ好きだと言っても敬えるかと問われたけどそれって暁さんの気負いもあったのだと思う。
ご主人様らしくしないとという。
でも、あの時のふっと抜けた空気にはそれはなかった。
私も、最近
奴隷らしくしなければならないというねばならない理論から離れられるようになってきた。
暁さんの欲しいのはテンプレの奴隷じゃなくて隷属する私なんだと。
主従誓約書を書く時もテンプレのものを見せた時に否やを唱えられたし
私が私であることを基本的に優先してくれているのだ。
個性を殺すことは暁さんの望みを殺すこと、だ。
らしく、というのならば
私たちらしく、だ。
何かを手本にするのではなくて私たちであり続けること。
そうあることが二人の道、だ。
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