暁さんに飼われてからだろう
名前を知らなかった感情に名前がつきだした。
喜怒哀楽はあったはずだったのだけど
加減して出す癖はずーっとずーっとついていて
心の中の澱はずーっとずーっと溜まっていた
そのうちになぜ、そう思ったかを考えることを放棄して
そうしたら何がどう思うのかまで閉じていた。
初めて嫉妬して
それを許された頃からだと思う
小さな心の違和感に名前をつけれられるようになった
これは「楽しい」
あれは「嬉しい」
それは「寂しい」
あれは「恋しい」
名前は知っていても
事象も知っていても
感じた時にその感情に名前があることはとうに忘れていたんだ。
激しい心の揺れをシャットアウトするまえに
感じて名付けて動揺して振り回されることを許してくれたのは
どんな人でもなく暁さんだけで
その感情を得てオロオロする私を包むのも暁さんだけで
それにひどく安堵して
悪いことではないと理解してから「心」を取り戻してもらっている。
よちよち歩きでまだたくさんたくさん振り回されて転ぶ私を
暁さんは一々手当てしてくれる。
名前を取り戻した感情を得た私の心を緩やかに包んでくれる安心感は何物にも変えがたい幸せだ。
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