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じつは素直でいることはすごーく勇気がいる。
私は基本的にええかっこしいの恥ずかしがりだし、汚いところや醜いところは包み隠しておきたい。
白鳥の足のようなものだ。
優雅に湖面を滑るようにしている白鳥も
足元ではジタバタと水を掻く。
それでも、暁さんにはなるべくまっすぐの気持ちを渡そうとしてる。
好き、と思ったら好きな気持ちを
寂しいと思ったら寂しい気持ちを
これはコメントを下さるりん子さんもブログで書かれてるのだけど
想いを想いのまんまお渡しすると
きちんと伝わることが多い。
例えば、暁さんがそれこそ多忙で灯里の事を構う時間も持てずメールの頻度が落ちていたとする。
というか先だって実際そんな日もあった。
鬼のような忙しさなのはわかっていたし毎年暁さんのお仕事上この時期は忙しさMAX!なのは理解できるのでお利口さんに待てをするのが正解。
な~の~は~!十二分にわかってる。
でも寂しいよ~構ってよ~
だいたいお体大丈夫なのですか?風邪は召されてないでしょうか?インフルエンザだってはやってますよ?
と寂しいわ心配だわの二重奏で灯里ちゃんはいじけ虫になりかけさんでした。
その時に
ケース1
『暁さん、お忙しいのも大変なのもわかってるのだけど灯里は寂しいです。暁さんがお元気でらっしゃるか心配です!』
ケース2
『暁さん、灯里のこと鬱陶しいですか?お邪魔じゃないですか?』
はい、どっちが気持ちをきちんと受け取ってもらえるでしょう。
ちなみに灯里ちゃんは結果としてどっちもしてしまいました。
はい、ダメな子。
ケース1だけだと本当に思っている気持ちだけをお渡しできたはずだ。
だって、心配だもん。
メール無いからメールする時間はおろか体力も無いのだろうかと心配。
そして寂しいもん。
暁さんがメールでくれる愛情があって安心ができる子になってしまった私は恐ろしいほどに寂しがりの泣き虫さんになっている。
きちんとした理由があるから我慢しなきゃいけないのは十二分に理解してても寂しい。
これを下手に修飾せずにお渡しするのが本当は一番。
だけど、私ったらねケース2を先にしちゃったのですその時に。
寂しさをこじらせまして、スネ灯里ちゃんになってまして
お恥ずかしい話ですが盛大にいじけました。
鬱陶しいから返事くれないんだー!邪魔なんだー!
『そんな訳、無いだろう』
びしゃりと一言。
それでもスネ灯里ちゃんを軽症段階で出したからか
仕方ないなー寂しかったのかー?程度で済ませてくださりました。
ほんと、手のかかる女だ私は。
重症段階の『私なんかいらない子なんだー!』に到達してたらきっとお仕置きものでしょう。良かった良かった!
だけど、寂しいって言うのって結構恥ずかしいんです。
良い年した女が寂しがってるなんて恥ずかしい事でしかない。
無意味に放置されて居ないとわかっているのであれば
自分の事をきちんとして待つ事ができるようにならないといけない年齢でもあるのだから。
多分、飼い始めよりも私は相当素直になったはずだ。
まだ、恥ずかしいから言えない事もたくさんある。
それでも、好きも、寂しいもたくさんきちんと言えるようになった。
まだまだ恥ずかしいから言うのも一苦労だけど気持ちいいもイキたいも最初よりちゃんと言えてる。
それは、相手がちゃんと受け止めてくれるバカにしないでくれるって思えるようになったからだ。
暁さんは『寂しい』って言ったら
『そうか、ごめんな』と言ってくださる。
謝っては欲しくないのだけど私の寂しさを否定せずにいてくれる。
我慢しなさいと叱らない。
暁さんに『好き』って言ったら
『知ってるよ』『俺もだ』と言ってくださる。
受け取ってきちんと想いを返してくれる。
バカにしないし鬱陶しいとも言わない。
暁さんが気持ち良くして下さることに反応して『イキたいです、イかせてください』とおねだりしたら
待てもされるし、その行為を緩めたりもされるけど
それを言う私を蔑むことはしない。
時にはそれを可愛いとすら言ってくださる。
暁さんが否定をしないでくれるから私は私を素直にすることを
自分が素直でいることを許せるようになってきた。
先日、『悲しい時や辛い時もそのままお伝えしていいですか』と伺った。
そうしたら
『それを隠して素直と言うのか?』と答えてくれた。
私は暁さんの前では
真っ直ぐでいようとおもう。
まだ、少し怖いけど。