暁さんに行為を施されるようになって願望に変化が出て来たなーとおもう
この記事で、書いた自己破壊願望
これも自らの願望と狂気なのだけど
破壊されたい願望と守って欲しい願望とが有ることに気づけるようになった。
守られたい願望は破壊されたい願望の邪魔になるもの、でしかないから意識から切り離してたのだ。
暁さんに守られてる認識はある。
強く守られてるしきっと不用意に危険に晒さないという覚悟も持たれてるとおもう。
そこを満たされてるから安心して暗部である破壊されたい願望を渡せてる
そんな基本的なことにふと、気づいた。
自分の事を「暁さんのため」じゃないと大切にできない私は
最後の一線を踏み越えないためにも守られることが必要だったんだなーと思う。
暁さんのする「酷いこと」には暁さんの欲や願望だけではなくて慈しむ思いや私を壊しすぎない配慮も込められてる。
配慮なく、壊されても喜んでしまいそうな私には生きる上でも必要だったことだ。
壊して、愛して欲しい
狂わせて、慈しんで欲しい
とてもとても私はワガママな生き物だなと思う。
セーフワード、というものを捨ててしまってる私が「社会」を捨てないためにも
暁さんブレーキって大切だ。
それを叶えてくれてる暁さんの欲や願望を私が叶えていけたらいいな、とおもう。
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