自己肯定感の薄い人間だ。
本当に「ココ」にいて良いのか、はかなり気にする。
仕事でも図々しくしているようで相手のパーソナルスペースを侵さず相手のペースを乱さずを気にしてしまう。
どんな事でも「いてよかった」としてもらえないと怖いのだ。
この臆病者は言葉と頭できっちりわかってても
ホンのミリの単位でも
「相手に喜ばれてない」というリスクを感じると怯える。
年末、無理にお時間をとらせたという罪悪感をどうしても会う前に引きずっていた。
お帰りも遅いのに、とか
ゆっくりされる時間もないのに、とか
心の大半までは占めないけど魚の小骨みたいに引っかかっていた。
会うとどうだろう。
暁さんは態度でそれをほぐしてくれた。
私がこんな思考をするのは想定内なのか本当にいつも通りだった。
会った後
「待つことは迷惑じゃないって頭ではわかってたけど心で実感できました。待っててよかったです。」
とお送りしたら「なるほどな(笑)」と返事が返ってきた。
これは肯定だ。
きちんとわかったんだなと言うことを短く伝える時に使われることが多い。
ちゃんとわかったんだな、と言うことだと理解した。
嬉しくなって大好きとお送りする。
知っていると何時ものお返事。
この、変わらないやり取りが安心の材料。
暁さんに可愛がられてる時間は会ってなくても続いてる。
会って可愛がられるのが一番の幸せだけど、その可愛がる気持ちが感じられるからこの時間も幸せだ。
待つ事を再肯定してもらえたから
また、次の逢瀬まで、きちんとお待ちしようと思う。
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