吐き汚したり口奉仕したあと
暁さんは迷いなく私に口付ける
きたないな、とかそういう嫌悪なしに
口を拭ったりせず本当に自然に
よくできましたの合図なのか
自分の思う通りに出来た「奴隷」への愛おしさなのか
かわいい、良い子と口付ける。
自分のモノから出たものがきたないか?自分の大切にしてるモノが出したものが汚れか?そう私に平然と、だけれども「汚い」と自分を嫌悪する私には怒り気味に告げる。
「私」を自ら否定するということは
「主」が大切にしてる「モノ」を否定することだ
自己否定は暁さんへの否定
ずっとずっと自己否定と自己嫌悪の塊だった私には難しいけれど
よく尽くせてるよ
頑張ったなの言葉に、甘やかな腕の中での時間に
少しづつだけれど「生きてていい」の実感と肯定を得てる。
でも、戸惑わないのかしら。
私が出したものなのに暁さんのおちんぽ周りをドロドロにした吐き戻しを
舐めとるのやっぱり少しの嫌悪はあったもの。
そう思い聞くと
全くないとシンプルなお答えだった。
沢山愛してもらえてるけど
なんでこんなにできるのか本当に疑問になるほどは大切にされてると思う。
だから、だと思う。
怖いことでも暁さんがなさりたいなら出来る子になりたいのはこういう行為から。
大切にしてくれる暁さんだけにそう思える。
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