最近、暁さんとの逢瀬がSM臭が薄い茶の間感が漂う逢瀬中心になってる。
いや茶の間に不満はない。
暁さんのリラックスしてる顔を見たら満たされるから。
仕事も忙しいし私の友人夫なんかよりよっぽどキチンとパパしてる暁さんは
毎日お疲れなのもよく存じ上げてる。
でもね、私は自分の存在意義が見失われそうで怖くなった。
暁さんのしたい「加虐行為」と私の受けたい「被虐嗜好」が重なって暁さんと私の関係は成り立った。
なのにそれが薄まっても私にはそこにいる意味はあるの?と。
焦りが出てると指摘されてしまう。
だから思い切って楽しめているのか聞いてしまった。
色々悪い方に考えてそうだな
楽しめてるさマイナス思考の波にさらわれかけてるのは明白で
そこを指摘されつつ楽しめてるよと肯定を下さる。
ふと、以前頂いたコメントで
「愛奴とだと調教せずにリラックスタイムになる事がある」
と聞いた事をそのまま聞いてみる。
似た感じかもしれないなと肯定が帰ってくる。
そうか、暁さんのリラックスタイムに私は貢献してるのかと、ストンと納得する。
多分、本当に気を抜いて休むという時間が足りてないんだと思う。
眠りが浅くて安眠ができてないとこぼされる。
でも、一緒の時は眠られてると思う。
私の欲目を差し引いてもキチンと眠られてるはずだ。
よく寝たと笑われる事もあるくらいだ。
おやすみタイムをつくる事
も奴隷の私の大事な役目
なのだとしたら全うできるように少しでもゆっくりしてもらえるように工夫しようと思った。
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