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先だって感想文を書いた『娼年』の続編にあたるこの本。
リョウは娼年の時は『男のコ』だった。
商品として並ぶためにプロデュースが必要な自立していない商品。
しかし、逝年になると彼は男娼として自らを売るだけではなく
クラブを回し彼自身で新人を発掘し売り出すプロデュースをしていくことになる。
そこで出会った性同一性障害の彼を男娼として求め雇い入れ彼の問題に対峙していくリョウは
歴とした『男』になっている。
そして、LGBTを応援している作者である石田衣良だからこそ為せた描写かもしれないとおもった。
そして、この作品では許す事も大切なテーマになっていると思う。
彼の『一夏の情熱』であったクラブを一度は解体に追い込んだ、リョウに対して正しさで向き合い結果それが優しさにならなかった彼女。
彼女を許す事もテーマの一つとして描かれている。
リョウ自身とクラブのオーナーである静香は結果として彼女を許す。
しかし、リョウと静香の彼女に対する『出来事』と『結果』に対する感情の違いと思いは明白に書かれており
筋を追うテーマとしてそれを持ちこの作品を読むのも一興だと私は思う。
『娼年』『逝年』に共通して書かれているのが
年齢を重ねた女性に対する愛情と彼の感性からくる女性の愛し方だ。
笑い皺も、年月を経る事によりハリを失う皮膚も彼にとってはチャームポイントになる。
世間一般の男性は齢を重ねた『女性』を『女』として、『性欲の対象』として見るのだろうか。
私は、年々痩せにくくなる身体も頬のたるみも恐ろしい。
笑い皺は…まぁまだ許せるんだけどね。笑い皺の似合うおばあちゃんになりたいし。
リョウは母親ともとれる歳の女性を性愛の対象とし、愛でて、彼女たちを癒していく。
古より『女房と畳は~』などと言い放つ男性たちを多く見る私としては
ぜひ、彼のような視点を持った男が増えて欲しいものである。
性を売ることを書く作品ではあるけれど愛とは何ぞやを問う作品でもある。
読了感は良い作品でした。
はいめまして。
足跡からお邪魔しました。
ブログにお越し下さってありがとうございます。
『娼年』、『逝年』は私も読みました。
「年齢を重ねた女性に対する愛情と彼の感性からくる女性の愛し方」
私もなんとなく感じていたことをこの小説で覚醒させてもたった気がしました。
女性でも男性でもその年齢、その時の素晴らしさを持っていますよね。
『逝年』では「死」に向かうことへの心の持ち方も考えさせられました。
灯里さんのこの記事を拝読して、
ご高齢で入院され痩せてしまわれた主の姿が御堂静香と重なってしまいました。
いえ、主はきっと元気になって下さると信じていますが。
年齢を重ねてもそのときそのときを輝いていたいですね。
こちらこそご来訪ありがとうございます!
初めまして。
> 女性でも男性でもその年齢、その時の素晴らしさを持っていますよね。
本当にこれはあると思うのです。
男性には男性の成熟したよさがあるとおもうし
女性ならば女性なりのよさが有るはず
それを見ない事は勿体無いなあって思うんです
> ご高齢で入院され痩せてしまわれた主の姿が御堂静香と重なってしまいました。
> いえ、主はきっと元気になって下さると信じていますが。
主様は入院されてらっしゃるんですね
ご心配は尽きないかと思います。
私は暁さんが入院された場合はお側に行ける立場ではないのでお側で尽くす事を許されてるのは
ちょっと羨ましいですが。
主様の御快癒をお祈りしております。