依存、していると私自身は思っているのだけれども
少し違うと言われている。
何が異なるのかさっぱりわからなくて
暁さんに言われても首をかしげてしまっている状態。
貴方無しでは生きていけないと思うこの感情は依存ではなくてなんなのだろう?
貴方には殺されてしまっても構わないのと思うこの感情はなんなのだろう?
その手で引き上げてもらえると甘える私は依存しているとしか言えないのではないのだろうか?
まあ、ここまであからさまに晒すことはしなかったけれども
私と暁さんの関係を知ってる友人と話す時にこういう関係を作る上でのバランス感覚がうまい、と言われる。
溺れていいラインを知ってるんだよね~灯里ちゃんは。此処までって。このプールで溺れてもすぐ引き上げてくれるけど、別のプールでは絶対にそれは期待できないって。ああ、確かにそれはあるかもしれない。
恋をする心
奴隷として慕う心
主を崇める心
そういう部分では溺れていいんだけど
日常生活
家庭面
社会面
では溺れてはいけないのを知っているし
実際そこだけなら暁さん無しでも立てるのだ。
暁さんという安息の地を得てしまったから、きっと無くしたら発狂できるけれど
そこは暁さんがやんわり見守ってくれれば歩けるし泳げるのだ。
そんな話をしたと暁さんに告げると、わかる気がすると返ってくる。
耽溺してしまってこの関係を無くすのは私には不本意でしかない。
耽溺して溺れ切って何も見えなくなって、暁さんだけの世界は夢だけど
それをしてしまったら、きっとこの関係はなくなってしまうと思ってる。
その、欲に負けてなくすくらいなら
私は暁さんのところに帰るために日々を辛抱強く頑張るしかないのだ。
心を開け放ちきってないように取られてしまうのだろうか?
一番弱い、一番本当は人が踏み込まないところまで晒してる自覚はあるのに。
我慢してるように見えます?と聞くといいやと帰ってきて安堵する。
ただもっと縛られたいと思ってそうだがなとの答えに私の欲をキチンとわかってもらえてる安堵と
その欲を隠しきれてない恥ずかしさが襲う。
監禁されたいんだもんなと、私の欲の最暗部を知ってる暁さんは答えてくれる。
一人でこの願望を抱えなくていいだけで幸せだから
私の欲の獣は暴走しない。
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